光桂寺・庫裏ができるまでの話⑥ 2025.12.05

庫裏ができるまでの話⑤の続き

光桂寺には「次世代光桂寺の会」という、光桂寺の若い門徒さんを中心としたグループがあった。今回の庫裏の計画も彼らが中心となって話を進めていたのだが、1月の末に会議が開催されるとのことで、そこで庫裏の計画を提出することになった。その前にまずはお寺の住職・寺族の方々に計画案を確認してもらわないといけないので、ちょっと急いでラフ図面やラフ模型を進めていく。

庫裏は寺院という性格もあるが、予算的にも木造でやりきるのが良かろうと考えていた。法要などを行うホールは100人ほど収容できるようにしなければいけないのだが、無柱の空間にしたい。そういった構造的なことやスケール感がいまいちピンときていなかったので、レーザー距離計を手に寺院、教会、子供の通っている保育園のホールなど、同規模の建物を見て回った。

また色々な要素・要望を積み上げていくと延べ床面積は1000㎡近くになってしまうのだが、そこまで大きな建物が必要なのだろうか?という疑問も出てきた。庫裏建設費用の大半は門徒の方々からの寄進によるものらしいが、予算的に大丈夫なのか、また建ったとしてもこの規模の建物を運営・維持していかなければならないわけだが、ソフト面、維持費などの長期的なプランがあるのか否か、色々不安な要素はあるものの、正直なところその辺はこちらにはよくわからない。不安要素をクリアにしてから計画に取り掛かりたいところではあるが、建物を建てる時は根拠があまりなくても、とにかく建てるぞ!という勢いのようなものも、まあ大事ではある。

そんなこんなでなんとかまとめた。

本堂の横にはカフェ付きのスロープ。スロープの向かいの平屋は引退する住職の住居。

駐車場からスロープ状のアプローチで正面玄関に入り、ホールへと至る。本堂へのスロープもカフェ付きである。アプローチは駐車場や保育園の園庭と一体的に使うことで、大きなイベントも催せるように考えていた。建物は平屋で、ホール、事務、厨房などの各要素ごとに緩やかに湾曲する屋根を架け、それらが重なり合ったり、隙間から光が入ったり・・うんぬんかんぬん、という構成でまとめてみた。当時の住職は庫裏竣工と同時に住職の座を長男に代わるということで、住居は別棟で建てる予定であった。

この計画案を持って、2016年1月20日の早朝、今考えたら前日から泊まり込んでいればよかったのだが、始発の新幹線で福岡へ向かった。1月20日だから京都は寒いのは当然なのだが、当日の朝はものすごく冷たい風の吹く雪の日であった。まだ日も出てなくて暗い朝5時ごろ、北大路通り沿いのバス停で地下鉄の駅行のバスを待っていると、サクサクと雪音を立てながら小さな黒い影が近づいて来た。これは夢か幻かと思ったけれど、よく見るとオーバーコートを着た1年生ぐらいの小学生の2人連れだった。なんか宮沢賢治の世界みたいだなー、それにしてもこんな小さな子がこんな朝早くから学校に行くなんて、現実はなかなかハードな世界に身を置いているんだなーとつくづく思ったのだった。

無事お寺に到着して、プランの説明。まあなんだかんだで色々出る。再度プランを練り直さないといけない。

その後は開発申請などを主に手掛けている会社の担当者と打ち合わせを行い、最後は前回すっとばしてしまった土木事務所の担当者と協議を行ってから、京都へ戻る。

次の日、さあまとめ直そうかなと思っていたら、当時大阪市の靭公園の隣にあった2kwgalleryのオーナーから、「滋賀県大津市にギャラリー付きの家を設計してほしいんやけど今から話できへん?」みたいな電話がかかってので、バタバタと大阪へと向かったのであった。

⑦に続く