敷地を見に行く。のどかな風景の中を電車は進み、まだ出来て間もない終着駅で降りた。
駅は高台にあって、周りを一望できる。かなり制限して開発を行ったようで、山々の間に見え隠れするように住宅地が点在している。建っている住宅はハウスメーカーのお菓子住宅だが、ここから眺めると集落といった風情がある。
しかし振り向くと、駅前には当たり前のように巨大ショッピング・センターと高層マンションが建っていた。
聞けば、小中高一貫教育の学校とこの巨大ショッピング・センター、そして新しい住宅地はセットでここにやって来たらしい。しかもまた山を削って住宅地をさらに造るとのこと。
この巨大ショッピング・センターの供給に対して消費者の数はまだ足りないらしい。
しかしそれを聞くと風景は一変する。今見えている点在する集落といった光景は消え去り、駅前に巨大ショッピング・センター、コンビニエンス・ストアー、ドラッグストアー、見下ろすとかつて山であったことを微かに思い出させるような、住宅地が延々と連続する見慣れた光景となる。
結局自分たちの財産を食い潰してしまうわけだが、見慣れた光景が出来上がることに対しての疑問というのはなかなか持ちにくい。(便利になって何が悪い?)
香川県丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館を訪れた。この美術館は駅のすぐ前に建っていて、袖壁と庇に囲まれた大きな広場の前で小さな子供をつれた家族や学生、老人などが各々好きなように過ごしていた。
駅前に美術館がある町で育った人間と、駅前に巨大ショッピング・センターがある町で育った人間の感覚というのは違ってくるのであろうか。
一方は美術館を核として、そしてもう一方は巨大ショッピング・センターを町作りの核とした。しかし消費を前提として作り出された町は、その消費が供給を満たさなくなったとき、どうなるのだろうか。新たな消費者を探してどこかへ飛んで行ってしまうのであろうか。