寺町通りをぶらっとして御池通りを西に曲がり、川端通りを少し下る。三条通りに入ると休日でもないのに(道が狭いのもあるが)観光客であふれていた。 今日は京都国立近代美術館にウィリアム・ケントリッジの展覧会を見に行くのだ。
ウィリアム・ケントリッジ:南アフリカ、ヨハネスブルグのアーティスト。木炭とパステルで描いたドローイングを部分的に描き直しながらそれをコマ撮りして、アニメーションにしていくというなんとも気の遠くなるような制作手段だ。
何軒かの画廊に寄って個展をのぞき、2時ごろに美術館に着く。 階段を上がり3階の会場に入ると、大きなドローイングがいくつも展示してあった。 消しては描き、それを撮る、という方法を取っている為これら1枚のドローイングがアニメーションの大部分を占めることになる。 今まで存在していた絵を消すという作業はとても勇気のいる行為である。
消された部分は白く輝き、とてつもない迫力と同時に大きな喪失感も感じさせる。 ヘッドホンを付け、アニメーションの上映されている部屋に入る。1つの部屋で5本同時に上映されていて、各々床に座って見ている。 台詞などは無く、たまに字幕が出るのみ。南アフリカのアパルトヘイト、白人による搾取、作者自身白人入植者であることのジレンマなどが表されている。
しかし、これが、すごいのだ。
木炭とパステルで部分的に消しては描き、それをコマ撮りすることによって、完全に消し去ることのできない今まで描かれていた部分(感情や時間・過去)が登場するすべてのものに深い余韻を与え、物語を重厚なものにしていく。
久しぶりに満足して次の部屋へ向かう。ドローイングがあり、今度は切り絵のアニメーション。
そしてまたドローイング、つぎは本人も出ているちょっとユーモラスなアニメーション・・その時、後30分で閉館のアナウンスが。
ぎりぎりまで粘って、後はサーっと常設展示でも見て帰るか、と4階へ行くと、なんとここでもケントリッジの展示があった。
回転する映像が真下に投射され、円形のスクリーン上にある鏡面の筒に映りこむことによって物語が進行していく!
もっと早く来ればよかった、と、2時に来たことをつくづく後悔する。
未練たらたらで4階の窓から向かいにある京都市美術館をふと見ると、ルーブル美術館展で人がごったがえしていた。