光桂寺・庫裏ができるまでの話① 2025.04.13

昨年末にホームページがクラッシュしてしまって、20年近く書き溜めた記事が全てすっ飛んでしまった。

事務所のホームページなので営業的な側面はあるものの、基本的には個人的な記録・備忘録であり、誰かが読んでくれて僕の建築の作り方やアプローチなんかを理解してもらえたらよいかな・・というスタンスで書いていたものだったんだけれど、さすがにそれが全てなくなるという事実には衝撃を受けた。

ブログではプロジェクトの始まりから竣工(またはぽしゃるところ)まで記録していたので、読み返してみるとそれぞれに思い出があるんだけれども、さすがにずいぶん前のプロジェクトの記憶は霞んできてしまっているので、再び全てを書き起こすのは容易ではない。

ただ、昨年福岡県の小郡市にて竣工した光桂寺の庫裏新築計画は、建築規模も今までで一番大きなものだったし、お寺の住職や大勢の門徒さん、役所の方々など、大勢の方々が関わったし、計画の始まりから終わりまで10年近くかかったということもあって、とても印象深いものであった。なので、この仕事については再度振り返って文字に起こしておこうと思った。

そこそこ長くなりそうなので、何回かに分けて記録することになりそうだけれど、今回は序章ということで、なぜこの計画に携ることになったかを書いてみることにする。

2015年に福岡・Xのクライアントから、「〇〇日に京都に行く、相談したいことがあるのでその時に会えないか」という連絡があった。福岡・Xのクライアントは現在は光桂寺の運営する味坂保育園の園長先生なんだけれども、当時は光桂寺の副住職という役職にもついていた。

光桂寺は浄土真宗大谷派の寺院なので、お寺の関係者は年に何度も京都の東本願寺を訪れることがある。なのでそれまでも京都でちょこちょこ会ったりしてはいたんだけれども、その時は「相談」ということだったので、これは仕事の話かな、と思っていた。福岡・Xは2012年に竣工した家族4人の住宅だったんだけれども、増築か何かかな・・と思いながら話を聞いてみると、光桂寺の庫裏を建て替える、という予想外の話が始まった。

光桂寺と福岡・Xは近所なので、何度か光桂寺の庫裏にはお邪魔していた。この庫裏は寺族の住居部分といくつかの座敷、広めの厨房などがそろっている木造瓦葺の平屋建てという、いわゆる庫裏、という建物であった。築40年ほどなのでそこまで古いというわけでもなく、建て替えるほどのことがあるのかしらんと思って話を聞きはじめたけれども、地盤が軟弱なため不動沈下を起こしている箇所があったり、座敷の数はあるもののそれぞれ少し狭いため大勢で集まっての会合がやりにくかったり、厨房が狭かったり、本堂へ至るには高低差があるため高齢の方がお参りしにくかったり、などの建物の現状に問題があるのと、葬儀や通夜などを行えるようなホールのようなものが新たに必要であるとも考えていた。

また昨今の寺社離れという問題にどう立ち向かっていくか、門徒さんはもちろん、それ以外の周辺に住む人々を引き込むような魅力的なイベントを行えるような庫裏にしなければならない・・などなど、確か夜中の2時か3時ごろまで話をしたと記憶している。